メダカ調査参加者のみなさん
山口ゆうきちゃんのメダカ調べ(山口結起)
日本全国・メダカの学校めぐり(事務局)
ワイルドメダカとの出会い(須田由美)
多摩川メダカてんまつ記(編集部)
創刊1号
1998.11.3発行(通算2号)

小学校高学年以上

バックナンバー

日本全国でメダカたちはなんとか生きのびていました。メダカに心を寄せるやさしい人々との出会いもありました。子どもたちもたくさん調査に参加してくれました。秋の深まりとともにメダカたちは冬ごもりですが、大きな感謝をメダカと子どもたちにお返ししたい気持ちです。


 10月いっぱいでメダカ調査はとりあえず締め切りました。事務局には問い合わせが180以上、150件をこえる報告が届きました。調査に参加してくださったみなさんのリストを地図にして発表することにしました(別紙)。 

 メダカは地域によってはぜつめつ寸前のところもあります。おおぜいの人がメダカをとってしまったり、荒らされたりするとメダカがいなくなってしまうかもしれません。ですから、一部管理されている場所をのぞいて、詳しいメダカ生息地は、地図にはのせないことにしました。ぜひご理解いただきたいと思います。

メダカの親せき関係をさぐる

 いやあ、おどろきました。調査を始めたときはこんなにじょうほうが集まるとは思っていませんでしたから。北は青森から南は沖縄まで、かなりきびしい状況ですが、メダカはまだ生き残っていてくれました。

 日本全国メダカはメダカ。当たり前のようですけど、小さなメダカが日本中に、そしておとなりの朝鮮半島や中国にもすんでいる。なかなかパワーのある生きものだと思います。

 前号に書いたようにメダカは海水でも生きられます。では、メダカたちは海を渡ってこんなに広がったのでしょうか?

 新潟大学の酒泉先生という方が、日本中の、そして朝鮮半島や中国のメダカを調査し、メダカの「遺伝子(いでんし)」を調べました。いってみれば、メダカの親せき関係を調べたわけです。

 すると同じメダカでも少しずつちがっていることがわかりました。日本メダカは大きく分けると、北日本グループと南日本のグループに分かれるというのです。南日本のグループは、もう少し近い仲間同士のグループに分かれます。どうしてこんなグループができあがったのかな?

 氷河期(ひょうがき)は地球がとても寒くなる時代です。氷河期には、北極や南極に近いところは厚い氷に閉ざされます。海の水が減って、陸地が顔を出します。そんな時代が昔何回かあったことがわかっています。

 氷河期には日本列島と中国大陸が陸続きになったこともあるのです。その時代には、中国大陸と日本列島の間に大きな川が流れていたと考えられています。メダカのふるさとはもしかすると、その川だったのかもしれませんね。

 長い間には日本列島も大陸とくっついたり離れたり、形もだいぶ変わりました。高い山や深い海で分けられると、メダカたちはお互い行き来できません。そうやって、だんだん似た遺伝子をもった仲間ができあがったようです。

 メダカたちの好きなかんきょうは、流れのゆるやかな、植物の生えた温かい浅い水辺。どちらかというと海に近い下流域です。ここには湿地(しっち)が広がっていて、大雨が降ったりすると水びたしになります。メダカたちは水がふえたときにそこに入り込んで、子孫を残してきたのだと思います。

メダカが田んぼの魚になった

 さて、時代はずっと新しくなります。日本の縄文(じょうもん)時代、最後の氷河期が終わって暖かくなり、海の水がふえて陸地が少しせまくなりました。そのあと少しずつ気温が下がると、海がひいていった後に、低い土地があらわれました。こういう場所を利用して米作りが始まったといわれています。日本では二五〇〇年ほど前の縄文時代の終わりごろ、九州北部で米が作られ始めたようです。湿地を区切って水を引き、米を育てたのです。田んぼの始まりです。

 もうおわかりですね。このときからメダカは田んぼと切っても切れない関係になり、日本人とメダカの長いつきあいが始まったのです。

 メダカは田んぼとともに、私たちにいちばんなじみ深い魚になりました。

 泳ぐ力の弱いメダカが広がることができたのも、田んぼと田んぼ、その間を流れる用水路をたどっていくことができたからかもしれません。メダカの卵は草にくっつくので、田植えのころにお米の苗について運ばれたことがあったと考える人もいます(守山弘『水田を守るとはどういうことか』農文協)。

 大雨の時は海まで流されてしまうこともありますが、そのときに隣り合った川や同じ湾内に注ぐ川では交流があったかもしれません。しかし、高い山を自力で越えることはメダカにはできません。

メダカはなぜ消えてしまったか

 飼ってみるとわかりますが、メダカはとても強い魚です。海水でも生きられるし、少しぐらい汚れた水でも平気。えさをしばらくあげなくたって、元気で泳いでいます。いるところには本当に真っ黒になるぐらい泳いでいます。
それなのにメダカが少なくなったのは、いったいどうしてなのでしょう。

 昔の田んぼや用水路は土のままでした。冬の間もどこかに水が残っていて、メダカが生きのびることができました。

 今の田んぼはどうでしょう。用水路は深くまっすぐで、コンクリートで固められています。メダカが卵をうみつける水草も生えないし、流れが速くてメダカの子どもは流されてしまいます。用水路と田んぼの間に段差があって、メダカが田んぼに入ることもできません。

 逆にお米を作らない時期には水は全然流れていないので、水路も田んぼも冬はカラカラで水の生きものは生きのびることができません。今の田んぼはメダカにはとてもすみにくいのです。

 田んぼとともにメダカのすみかだったため池も、二面で須田さんが書いているように、農業用水の整備で必要がなくなって次々消えていく運命にあります。残されたため池も、ブラックバスやブルーギルなどが放流されるときびしいです。

メダカのすめるかんきょうを

 田んぼはお米を作るだけの場所ではなかったんですね。洪水も防いだし、生きものそして子どもたちを育む場でもあったのです。もう一度そういう場所をとりもどす取り組みが必要だと思います。

 今、もう一度生きものをよびもどそうと、全国でいろいろな試みが始まっています。トンボやホタルは多いのですが、残念ながらメダカやカエルはあまり注目されていません。メダカが泳ぎ、子どもたちが歓声を上げる水辺をどうしたらつくっていけるのでしょうか。それを今から考え行動していかないと、遠からず野生メダカが私たちのまわりから消えてしまう日がやってくるでしょう。


わたしは、メダカのことのついて人にきいてみました

京都市西京区 山口結起

きいた人は 千頭 八重子さん
 小川があちらこちらにあり、メダカがおよいでいました。メダカは何匹かいっしょに泳いでいます。多いときは一〇匹などかたまって泳いでいました。メダカは3センチほどの大きさで、目が大きく手でとろうとしても小さいので早くにげてしまいなかなかとれなかったので、いつも見ていました。あみなどがなくにがしてばかりでした。きれいな水がいつもながれていなくてはすぐしぬので、取ってすぐにがしていました。小川には草やもがいつもはえていてきれいな水が流れていました。今から四〇年ほど前のことですが、そのころから家がたちはじめ田んぼがなくなり小川もなくなり大きな川としても改修が行われ魚やカニやドジョウやメダカの住むところがなくなり、いなくなりました。今長岡京市にはほたるもとんでいます。きれいな水が流れているところもあります。もしかしたらメダカもいるかもしれません。メダカが少なくなって長い日がたちました。前のようにたくさんいないかもしれませんが、メダカは小さい魚できれいな水が流れているところや草などがはえているところが好きなのでしょう。今のようにのうやくなどよごれた水が流れている川や、コンクリートなどで改修された川には住めないと思います。静かな山奥の池や山の水が流れている所までひっこしたのでしょうか? メダカたちが住めるきれいな水になればいい。

きいた人は 加藤 弘さん
 六〇年前。昔はいなかのきれいな水のところにいました。メダカは2種類いました。名前はしらないが大きいのと小さいのがいる。田んぼの横の川にいた。長さ一〜2mぐらい。大きいメダカは3センチらいで小さいメダカは1〜2センチぐらいです。京都にはいない。昔はとてもきれいな水だがいまはきたない。のうやくやいろいろつかうからメダカはいない。ゴルフじょうにはいないだろう。

きいた人は 小沢 洋陽さん
 わたしは、小さい時、滋賀県のりっとうにすんでいました。むかしはプールのかわりに川でおよぎました。きれいな水でとてもつめたくすんで川の中のものがよく見えました。いつもきょうだいで川であそんだりおよいだりしてあそびました。そんなきれいな水のはしの方でメダカはいつもかたまってにげることなくゆうゆうとおよいでいました。あみのかわりにタオルでメダカをすくったものです。そんなのんびりしたメダカでした。今は家とともになんでもあたらしくきれいになりすぎて自然の川がなくなりメダカもいなくなったのでしょう。

きいた人は 山口 照美(母です)
 昔は川にいったらメダカはいっぱいいた。メダカは一匹で行動せずたくさんいっしょに泳ぐしゅうせいがあるみたいで、メダカの学校を見ているみたいだった。手ですくったこともあった。でも今考えたらそんなことをしたらクラスメートをとったことでみんながさみしい思いをしていたのかな? と思う。いまではあまりメダカを見なくなった。もし見たら大切にそっと見守ってあげたいと思う。

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−結起ちゃんメダカ調べ送ってくれてありがとう!


全国めだかの学校めぐり

 やはり、ありましたよ。北から南まで、全国に「メダカの学校」が! 

 まず青森は青森放送ラジオ「あおもりTODAY」にめだかの学校というコーナー(パーソナリティ・斉藤次郎さん)があり、県内のメダカ情報を募集したところ、八月五日までに九〇件以上集まったそうです。恥ずかしながら私も声の出演をしてしまいました。とてもりっぱな「めだか通信」も発行。残念なことに青森でもメダカは少なくなっているようですが、北国のメダカたちにエールを送りたい。

 福島県小高町には「メダカの学校」ならぬ「タガメの学校」。タガメはメダカ以上に少なくなってしまった水生こん虫。細川ふるさと農園の敷地内にタガメを始め水生こん虫、メダカなどがすむ池を整備、自然観察園としてオープンしています。

 栃木県には土地改良事業などですみかを失ったメダカを育てる「里親の会」が。生息地を調査し、生息できるところに、はなすなどの活動をしています。

 「メダカの学校山梨」は山梨県富士吉田市、明見(あすみ)地区にあります。ここは標高八〇〇メートル。日本でいちばん高いところにすむメダカではないかと、校長の勝俣さん。もともと地区にある明見湖やそのまわりの水田にいたメダカが絶滅しそうになり、ご自分の田んぼで保護しています。「メダカの学校」の会員は現在二〇名ほど。毎年自然観察会や環境展を開催して、多くの市民を集めています。さらに、地元の小学校でもメダカを育てるなど、活動は確実に広がりを見せています。活動の様子は「富士のすそ野のメダカの学校」(中川雄三著・大日本図書)という本に詳しく紹介されています。

 神奈川県藤沢市には「藤沢メダカの学校をつくる会」があります。絶めつしたと思われていた、市内を流れる境(さかい)川水系のメダカが、市内の個人の庭の池で飼われていたのを再発見。このメダカを学校や個人で飼い、ふやして、いずれは境川にメダカをとりもどそうという活動です。市内の小中学校や江ノ島水族館、神奈川県水産総合研究所など多くの組織や人々が参加しています。

 神奈川県小田原市は、メダカの学校の本部といったらいいでしょうか。どうよう「メダカの学校」がここで生まれたからです。作詞者の茶木茂さんが戦争中から戦後にかけて小田原に住んでいたころに、幼かった息子さんとともに見た光景が歌の元になったと伝えられています。神奈川県ではメダカの確実な生息地は二、三カ所だそうですが、小田原市にはその一つがあるのです。小田原市立報徳小学校では、メダカの学校にちなみ校庭にメダカや水の生きものがくらせる場所をつくって、子どもたちが観察記録をつけ、インターネットで公開しています。

 静岡県相良町にもありました。町内の落居地区にある「落居区環境を守る会」が、休耕田をメダカ池として管理保護しています。メダカはもともといたもので米作りをやめるとメダカがすめなくなると、「メダカの田んぼ」づくりが始まりました。

 鹿児島の「メダカの学校」も元気です。送っていただいた資料によれば、一九九〇年から活動しているとのことで、ここがいちばんのしにせかもしれませんね。会員も多く、ニュースレターの発行や調査、メダカのコンサートなど、活発に活動されています。

 直接お話を聞いたり資料を送っていただいてないのですが、栃木県真岡市の「西沼メダカの里」、群馬県・野メダカを育てる会、愛媛県伊予郡・「フォーラムメダカの学校」他、岡山、高知にもあるというじょうほうが届いています。



ワイルドメダカとの出会い

須田由美

 愛知県知多市に住んで、一〇年ほどになります。

 知多半島には大きな川がありません。そのため、昔から水不足になりがちで、農業用水を確保するため、大小のため池がつくられてきました。しかし、一九六一年に愛知用水が開通したので、ため池の役割はあまりなくなり、姿を消していっています。

 ワイルド(野生)メダカとの出会いは、油田池(あぶらだいけ)という名のため池でした。もちろん、「立ち入り禁止」の看板はありましたが、無視して入ってみたらワイルドメダカの群れが、気持ちよさそうに日向ぼっこしているではありませんか。早速、仲間とメダカすくいを楽しみました。それからは話題はいつもメダカのこと。卵を産んだとか、孵化したとか、餌は何がいいか、とか。私の楽しい思い出の一つです。その後仲間は転勤してしまいましたが、その際メダカを元の油田池に返したのはいうまでもありません。しかし、その油田池はその後埋め立てられてしまいました。

 今は外で、2つの大きなかめとスイレン鉢にメダカを飼っています。できるだけ自然に近い状態で飼うことをこころがけています。自然とは、雑然としているけれど、系としてのまとまりそして変化していくエネルギーがあるものと思います。ヨシを植えたり水草を入れたり、レンガや素焼き鉢でかくれがを作ったりしています。雨の日はメダカがジャンプして飛び出ないように水量に気をつけ、晴天続きの時は蒸発した分を足す程度です。餌はやらなくてもいい状態ですが、ついやってしまいます。

 ガラスの水そうとちがって横からの観察はできませんが、小さな自然を見ているようで心がなごむのです。底では水面とはちがったまか不思議な世界があるのかな、などと想像するのは楽しいものです。

 私が今もっとも心配なのは、ため池のことです。生物相が豊かなため池を、役割を終えたからといって埋めないで欲しいと、切に願っています。

 (水生植物や小動物にとっても、文化的にも大切な溜池を保全したいものです=本文とは関係ありません)


多摩川メダカてんまつ記

 その後も、あいかわらず多摩川のメダカをさがすおじさんでした。夏の初めのある日、八王子市内でなかなかよさそうな田んぼを見つけました。こちらで谷戸田とよぶ、山の間の田んぼです。道路から下りて田んぼをのぞき込んでみると、いたではありませんか、メダカが。やった! とうとう見つけたぞ。

 こおどりしそうになりながら、まずネットですくって確認。まちがいなくメダカです。大きさからして今年生まれたものでしょう。どこかに親メダカがいるはずと、水路をたどっていくとため池がありました。釣りぼりになっています。

 ちょっと悪い予感がしました。管理人の方に話を聞いたら、
 「ああメダカね、十年ぐらい前に埼玉県の川越の方からもってきて、はなしたよ。大雨が降ると下の方に流れていっちゃうんだよ」

 川越というと荒川の水系です。つまりよそから来たメダカだったわけです。しかも、たぶん多摩川本流にも流れていっているでしょう。

 その後たまたま見たテレビのニュース番組で、多摩川下流で魚とりをしている映像が流れました。その中に一ぴきメダカがいましたが、はたしてあのメダカはどこのメダカなのか。複雑な気持ちのおじさんでした。


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